ひめゆり平和祈念館

 三板の持ち方
やいま村の研修室 三板の練習


記念の壷
百年碑銘
私のルーツ

≪北海道入植≫
明治38年4月、日露戦争の戦勝祝いの提灯行列の中、上野駅から北海道に向け列車が出発した。
祖父母が山梨から北海道空知郡北村に入植のため旅立ったのである。
それから、100年現在は3代目である我等兄弟7人がその血を受け継ぎ健在であり
北海道に5人、岩手県と神奈川県に各々1人生活している。

≪我が家の自分史≫
1991年8月、祖母と父の法要で母(当時81歳)を囲んで兄弟7人が集まった。
思い出話が発展し、祖母が語っていたふる里・山梨の思い出や、父の山梨自慢など懐かしく思い出しながら、
どんな所で生まれ育ったのか、どうして北海道のこの地に住むようになったのかなど未知のことばかりなのに気
がついた。
我が家のルーツを調べまとめてみる事になった。

そして、100ページほどにまとまった「空知の大地に挑む」が3年を経過して完成した。
祖父母・父が育まれた山梨の自然と山々、この地で何をしたのか、どんな思いで北海道へ
渡ったのかを想像する旅は数度におよんだ。
発見することの数々は、地理的に有利な小生が帯びた山梨特派員の役割に、感謝の気持
ちを抱かせてくれた。
北海道の兄弟はそれぞれ思い思いの手記をしたためたし、岩手に住む姉は母ゆき子が書い
ていた日記の整理をはじめ経験を生かして編集の中心となって、出版社との交渉から原稿の
仕上げまでの労を惜しまなかった。


≪ルーツ発見≫

ルーツは山梨の本家当主のご協力を得て寛永年間(1600年代)13代前まで遡ることができて重みを増すことが出来た。
また、父方(金丸家)には大阿閣梨(だいあじゃり)という真言宗の法善寺の第22世を勤めた大和尚であることも花を添えた。

祖父母の時代を詳しく知る人も既になく詳細を知ることは難しいが、時代背景や当時の祖父方・祖母方の家の事情などを公民書なども踏まえて知るにつれ確信を持って推測することが出来たと思う。
胸を張って、今我々の身体にその血が懇々と流れていることを言えると思う。
我々を引き継ぐ3代目、4代目がこのことを真に受け止めてくれることを願うのみである。

≪入植百年記念≫ 平成18年7月(2006年)

明治38年4月、祖父母が山梨から北海道空知郡北村に入植して百年を記念し、平成18年7月(2006年)孫たち兄弟7人が集まり 想いを新たにした。
記念碑として、郷里岩見沢に窯を持つ「こぶし焼き」の「壷」作成に決め在住の兄が調達した。
さらに、バスツアーを企画して1泊旅行を楽しんだ。
バスツアーの場所やスケジュール計画他諸々を末弟の豊君(何時も笑顔を忘れず包容力ある)が現地調査も交えて企画し、旅館でのゲームの準備まであり(五女 秀美女史計画)楽しく賑やかな旅であり、亡き祖父母や父母も我々子孫の意図するところを汲み喜んでいることと自負できるイベントだった。 












<<イーハトーヴォの旅>> 平成19年5月(2007年)

盛岡在住のヒロ子女史(三女児童文学研究家)の発案・企画
により、以前から熱望していた岩手県南部が主体の旅が実現
した。

行程順は図のように、
1日目は平泉「毛越寺」「中尊寺」、
 大船渡湾「碁石海岸」、ここで1泊

2日目は宮古市「浄土ヶ浜」、花巻温泉泊り

3日目は
民話のふるさと「遠野の里」、花巻市「宮沢賢治記念館」

温泉地の旅館ではゲームに興じて、父母・祖母に囲まれた田舎の往時に浸る
ことができた。

東北の魅力の一つは何と言っても『土着の生活』『風土に育まれた骨太の逞しさ』では
ないだろうか。
そこにポイントを宛てた計画であり、堪能できた訳だけれど、正に「遠野物語」一部に触
れたり「賢治」を訪ねて体感できたように思います。

ドライブ中には、釜石の高炉跡を垣間見たけれど、改めて東北の地に何故『高炉』?
という疑問も湧き立て来た。

古墳時代から奈良時代にかけた優れた鉄器文化や精錬技術が明治の産業復興期に
「人」を育てると共に鉄鋼産業を勃興させたことを学んだ次第。
現代の子育て、教育のポイントがここにあり、人は地域の伝統や環境に大きく左右され
て育つことを実感した。

遠野ユネスコ協会編、こども向け「遠野ものがたり」を購入して、民話の世界
「ドンドハレ」を味わうことができた。

賢治記念館では、宮沢賢治の急ぎ通り過ぎた非常に真摯な生涯
と「実践の士」に新たな魅力を見つけ出した。

次回の旅行計画を楽しみつつ過ぎた、2泊3日の
旅であった。








<<沖縄行の思い出>> 平成20年11月(2008年)

 平成18年、19年と続いた兄弟旅行が20年は5女秀美女史の企画で実現した。
 彼女は市職員として幼児教育に携わり大きな経験を積み、現在は地域活動に
 取り組んでいる。

 旅程は5女の父君勝敏氏が編集したパンフレットに集約され、旅の友として
 活用し今又記録として活躍している。

 今回の旅行のキーワードは八重山諸島の島巡り、石垣島、西表島、高富島と
 小浜島であった。
 
 改めて、沖縄の歴史は『苦難』と言える琉球王朝時代、太平洋戦争、戦後の
 米接収、日本復帰と目まぐるしく変わり、したたかな近隣諸国との外交のによ
 るものであったことを伺わせた。
 
 自然の宝庫であって海の色、珍しい動植物種、さらには人の営みにも台風
 と観光と米軍など本土では窺い知ることのできない数々であった。
 沖縄を訪れて痛感したが、風土も文化も大きく違う積み重ねでした。
 ひめゆり平和祈念資料館は衝撃でした。
  



                                   












 沖縄の地理を考えてみよう 
  不見識ながら、沖縄の地理を勉強することから旅は始まった、と言っても良い
  ように八重山諸島、島巡りとは何か?でした。

  沖縄の地理は日頃の天候予報で見ることが多く、画面に入るように南北(東西
  でしょうか)に別けられたもので見ることが多い。

  改めて調べると(JALの機内誌「SKYWARD」)によると
  (飛行距離であることを承知ください)
  東京〜沖縄 ;1590Km 東京〜石垣島 ;1980Km 石垣島〜与那国島 ;≒100Km
                                    与那国島の西110Kmで台湾です。
  だから、東京〜日本の最西端までは2000Kmを越える距離になります。
  *参考に
   東京〜札幌 ;≒1100Km
   東京〜ソウル;1200Km
   東京〜北京 ;≒2100Km

 皆の健康と次年度の旅行を約束して、収穫の多い3泊4日の旅を無事終わりました。